羽溪了諦羽溪 了諦(はたに りょうたい、1883年8月17日 - 1974年8月13日)は日本の仏教学者、浄土真宗の僧侶。 経歴福井県遠敷郡出身。旧姓・向嶋。号・青浜。1909年京都帝国大学文科大学哲学科を首席で卒業。同大学院を経て副手、1923年講師、1927年助教授、1935年教授。1921年龍谷大学教授を兼ね、1931年大谷大学教授を兼ねる。1934年「西域仏教ノ特徴」で京大文学博士。1936年龍谷大学長。1943年9月京大定年退官[1]。京大、龍谷大、京都女子大学各名誉教授。浄土真宗本願寺派総務。1955年紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受勲。1945年戦後のGHQ指導のもとの教育刷新委員会において教育基本法原案の骨組みを担当した第一特別委員会のメンバー。 [2]。 著書
論文脚注 |