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義和
義和
(ぎわ)は、以下の元号。
義和 (北涼)
(431年 - 433年) -
五胡十六国時代
の
北涼
義和 (高昌)
(614年 - 619年)
中国神話の羲和
羲和
(ぎわ)は、平安時代に日本にも伝わっていた中国古代の地理書『
山海経
』に記載のある
太陽
の
母神
であり、
炎帝
に属し
東夷
人の先祖にあたる
帝夋
の妻。羲和が
天照大御神
を指しているとする声もある。東海の海の外、甘水のほとりに羲和の国があり、そこに生える世界樹・
扶桑
(扶桑はかつて日本にあったとされる巨木)の下に住む女神である羲和は、神車を引きながら、子である「十の太陽たち=
三足烏
」を世話している。天を巡ってきてくたびれた太陽を湯谷で洗っては扶桑の枝にかけて干し、輝きを蘇らせるという。
子孫には、中国五帝の一人とされる
東夷
人の領主・
少昊
がある。また、羲和から生まれた十日の子孫に「日氏」や「湯氏」があり、羲和の和に因む「羲氏」と「和氏」は天地四時の官になったと『
通志
』に説かれている。
『
史記
』によると、羲氏と和氏は五帝の
堯
の時代から天文を司ったが、
夏
王朝の
中康
の時代に職務を怠り征伐されたという。
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