美濃派美濃派(みのは)は俳諧流派の一つ。松尾芭蕉門下の各務支考に始まる一派。支考の庵号獅子庵から獅子門を自称した[1]。 概要美濃は支考の出身地であり、晩年の拠点であった[1]。支考は行脚による地方俳壇開拓と門弟獲得を目指し、加越能・中国地方に門戸を拡大し、「虚実」「俗談平話を正す」を理念として、俳書俳論の刊行や芭蕉追善会の主催によって蕉門をアピールして一大勢力となった[1]。中興期には「田舎蕉門」「支麦の徒」と誹謗されたが[1]、その系譜は21世紀に至っても継承されている。 美濃派は、「獅子門」として継承されている。獅子門の祖師は彼の松尾芭蕉、始祖は蕉門十哲の高弟の一人、各務支考(かかみ しこう)である。芭蕉直系の結社であり、その歴史は350年以上とされ、日本一、すなわち世界一古い結社とされる。 「獅子門」の名称は、支考の別号である「獅子老人」に由来している。支考は、全国行脚をしつつも本拠は美濃地方においており、また歴代の道統宗匠には美濃在住者が多いため、「美濃派」とも呼ばれることとなった。 現在の「獅子門」の活動については、ホームページを参照されたい(獅子門 (https://shishimon-web8.webnode.jp))。 系譜系譜は獅子門美濃派資料館の系譜に拠る[2]。 以哉派
再和派
1973年 両派合同
脚注 |