美努岡麻呂
美努 岡麻呂(みの の おかまろ)は、奈良時代の貴族。氏は三野、名は岡万とも記される。姓は県主のち連。大学博士・美努浄麻呂の近親か。官位は従五位下・主殿頭。 経歴天武天皇12年(683年)県主姓から連姓に改姓する。文武朝の大宝元年(701年)第8次遣唐使の小商監に任ぜられ(この時の官位は従七位下・中宮少進)、翌大宝2年(702年)唐に渡るが、このときに春日蔵老が詠んだ送別の和歌が『万葉集』に採録されている[1]。元正朝の霊亀2年(716年)従五位下・主殿頭に叙任された。 美努岡万連墓誌明治5年(1872年)、美努岡万(岡麻呂)の墓誌銘が大和国平群郡萩原村竜王(現在の奈良県生駒市青山台)の丘陵から同地の農民である忠平の手によって出土した。墓誌銘は鍛造された銅板(縦29.7cm×横20.9cm)の表面に1行17字詰で11行に亘って計176字の銘文が刻まれ、前半には経歴が、後半には『孝経』に基づいた文章で功績が記されている。縦横に刻された罫線や『孝経』に基づいた文章など中国的な様相がみられ、遣唐使として唐に派遣されたこととの関係を彷彿させる。日付は天平2年(730年)10月2日であり、没後2年たって埋葬されたものと想定される。 東京国立博物館所蔵で、1955年(昭和30年)6月22日に重要文化財に指定された[2]。銘文は以下の通り。
官歴注記のないものは『続日本紀』による。
脚注参考文献外部リンク
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