羅月煥

羅 月煥
生誕 1912年10月14日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮全羅南道羅州市
死没 (1942-03-01) 1942年3月1日(29歳没)
中華民国の旗 中華民国西安
所属組織 国民革命軍
韓国光復軍
最終階級 上尉(中国軍)
墓所 国立大田顕忠院愛国志士第3墓域40号
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羅 月煥(ナ・ウォルファン、나월환)は日本統治時代の朝鮮独立運動家松竹本貫羅州羅氏[1]

経歴

1912年10月、全羅南道羅州市に生まれる。1924年3月、仁川公立普通学校卒業[2]。東京に渡り、朴基成と共に四谷小学校夜間部5・6学年課程を履修[2]。1年後には成城中学校に入学した[2]

青山学院に入学すると、収監中であった朴烈と面会し、元心昌、宋映運、崔學柱、柳致眞などの留学生と交流して黒友連盟に加入[2]。中国に亡命。

上海に渡り、中国人の黄紹美の紹介で1930年10月に中央陸軍軍官学校第8期入学[3]。第2総隊歩兵第2大隊第4隊配属[4]。1933年11月、卒業。憲兵訓練所甲級学員隊に入隊。南華韓人青年連盟に加入し、中国軍憲兵として活動。1936年4月22日、憲兵中尉[5]。1937年、日本の警察に逮捕され本国に送還される途中の青島市で脱出する。1939年11月、韓国青年戦地工作隊を組織し隊長となる。結成直後、重慶を離れて陝西省西安に移動し、第34集団軍(総司令:胡宗南)と連携した[6]。1940年2月、中央戦時工作幹部訓練団(戰幹團)第4団韓国青年班(韓青班)隊長[7][8]。1941年1月に戦地工作隊は韓国光復軍に編入され第5支隊長や徴募第5分所主任委員を歴任。1942年3月に西安で暗殺される。

1963年、韓国政府は建国勲章独立章を追叙。

2014年9月、大韓民国国家報勲処が9月の「今月の独立運動家」に選定[9]

出典

  1. ^ 나월환(羅月煥)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月22日閲覧。
  2. ^ a b c d 한상도 2015, p. 117.
  3. ^ 한상도 2015, p. 119.
  4. ^ 中国黄埔軍校網. “南京本校第八期歩兵第二大隊第四隊学員姓名籍貫表” (中国語). 2016年3月26日閲覧。
  5. ^ 国民政府広報第2029号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2016年6月3日閲覧。
  6. ^ 한상도 2015, p. 127.
  7. ^ 胡 2016, p. 514.
  8. ^ 韓 1993, p. 242.
  9. ^ “独立記念館、9月の独立運動家に羅月煥先生を選定” (朝鮮語). 文化ニュース. (2014年9月2日). http://www.munhwanews.com/news/articleView.html?idxno=1546 2015年12月8日閲覧。 

参考文献

  • 胡宗南 (2016). 胡宗南先生文存. 台灣商務 
  • 韓詩俊 (1993). 韓國光復軍研究. 一潮閣 
  • 葉泉宏 (2010),黄埔軍校与韓国独立運動 (PDF) [リンク切れ]
  • 한상도 (2015). “나월환의 독립운동 역정과 피살 사건의 파장”. 한국독립운동사연구 (한국독립운동사연구소) 50: 115-158. 

外部リンク