繩果
繩果(ジェンガ)は、金の皇族。漢名は宗峻。太祖阿骨打(アクダ)の三男。母は聖穆皇后唐括氏。爵位は汴王。 生涯嫡子であったために父の太祖阿骨打から正式な後継者と定められ、父に従軍して功績を立てる。後に叔父の2代呉乞買(ウキマイ)に従軍して、遼の中京大定府と西京大同府を攻略中に、重傷を負った。天会元年(1124年)7月、それが原因で破傷風に罹り、間もなく死去した。 なお、繩果の未亡人の蒲察氏は異母兄の斡本(オベン、漢名は宗幹)に再嫁した。そのために斡本は2人の甥の養父となり、その後見役となった。 長男の合剌(ホラ)が第3代金朝皇帝熙宗として即位すると、彼は亡父に対して、徽宗の廟号と景宣皇帝の諡号を贈った。 宗室妻妾
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