織田信家
織田 信家(おだ のぶいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。別名は津田信家。織田信長の従兄弟にあたる。 略歴尾張国上四郡の守護代「織田伊勢守家」(岩倉織田氏)当主織田信安の次男として誕生。母は織田信秀の妹・秋悦院。 父・信安が兄・信賢を廃嫡し、信家に家督を継がせようとしたため家督争いが起きた。それにより、北尾張の家臣団は二派へと分裂したが、信賢により、父の信安と共に信家は尾張から追放された。永禄元年(1558年)の浮野の戦いで兄は敗北して織田信長に降伏、父は美濃斎藤氏に仕え、織田信長に抵抗したが、後に信長に罪を許された。この際に信家は信長の嫡男織田信忠付きの家臣となった。 永禄12年(1569年)、荒子城主前田利春の四男前田犬千代(後の前田利家)の元服の際、烏帽子親となり、家の偏諱を与えて利家と名乗らせたといわれる[2]。 天正10年(1582年)、信長の甲州征伐に従うが、信濃国高遠城攻略の際に武田方に討ち取られた。 脚注 |