総合安全保障総合安全保障(comprehensive security)とは国家の平和と安定を図る上で軍事的側面のみならず非軍事的側面をもとらえ、侵略の脅威のみならず国内の不安要因や自然災害などの脅威にも対処するという安全保障政策の考え方である[要出典]。 概説総合安全保障とは軍事的脅威のみならず、国家の安定に必要な経済・食糧・エネルギーなどの課題を総合的な戦略としてとらえるとともに、軍事的脅威及びそのための防衛コストを最小限化する努力をはらうことであるといえよう[要出典]。 今日では環境問題なども課題に加えられており、より多角的な視野から安全保障が検討されている。総合安全保障の定義はけして画一されたものがなく、それぞれの研究者が個々に様々な定義づけを試みている。 例えば、衞藤瀋吉は「国家の安全保障を考える場合、目標として、たんに他国からの軍事的な侵略に備えるだけではなく、より広く、経済など他の分野の目標も安全保障との関連で高度に重要な国家目標として掲げ、さらに、それらの目標を達成するにあたって軍事的な要素を最小限に抑え、非軍事的な要素を最大限に活用する、という政策(行動)原理」と定義している[1]。 日本の総合安全保障戦後日本においては、安全保障のあり方として単に侵略への備えに対するだけでなく、経済などの分野でも国家目標を掲げ、さらに目標達成にあたっては軍事的要素を最小限化し非軍事的手段を最大限活用するといった基本姿勢の中から総合安全保障という観念が生まれ、大平正芳内閣のときに総合安全保障研究のための研究会が設けられ、検討結果が政府に上程されたことで、以降の日本の安全保障における基本的な方針として定式化された。大平内閣に続く鈴木善幸内閣において、1980年12月、内閣に国防会議とは別の組織として内閣官房長官を主宰者とする9大臣(国防会議の総理以外の4大臣に、農水相、通産相、運輸相、官房長官、科学技術庁長官を加えたもの)を構成員とする総合安全保障関係閣僚会議が設置され、2004年9月まで設置されていた(ただし1990年9月以後は開催されていない)。 日本は憲法において平和主義をとることにより、基盤的防衛力構想に基づく必要最小限の防衛力、急迫不正な脅威への拒否力としての防衛体制を敷いている。極東の海洋国家であり、近隣に核保有国や大国が存在する上、領土や外交上の争いも存在し、また少資源国であるという政治的・地勢的諸条件の中でいかに現実的課題として安全保障を達成していくかを検討していく必要があり、日米同盟を前提とする一方で防衛力を一定のレベルで維持することは不可欠であるという前提に立ちながら、国家の成長と安定のために不可欠な要因ともども総合的にとらえ、非軍事的ツールを最大化することで、憲法の平和主義の理念と制約の中で現実的な安全保障を達成していこうとする取り組みがこの総合安全保障である[要出典]。 日本の総合安全保障の目標
日本の総合安全保障達成のための手段
上記のように総合安全保障の達成には軍事・経済・エネルギー・食糧・防災といった多角的な手段が講じられる。 文献関連文献
出典・脚注関連項目外部リンク
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