綾小路有良
綾小路 有良(あやのこうじ ありかず)は、幕末の公家、明治期の雅楽家・華族。子爵。 経歴山城国京都で、侍従・綾小路俊賢の長男として生まれる[1][2]。安政5年11月7日(1858年12月11日)元服して昇殿を許され従五位上に叙せられた[3]。文久2年12月7日(1863年1月26日)侍従に任じられ孝明天皇、明治天皇に仕える[3][4]。左近衛権少将、侍従、兼雅楽助、神楽御人数、兼次侍従・雅楽助、式部寮御用掛、侍従、兼大伶人などを歴任し、1873年9月27日に家督を相続した[1][3][5]。 1884年7月8日、子爵を叙爵[6]。1886年、御歌所参候となり、雅楽部長、式部職主事などを務め、1886年から歌会始で披講の発声を担当した[2][5][7]。三オクターブの声域があったと言われている[5]。 系譜
脚注参考文献
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