綾井武夫綾井 武夫(あやい たけお、1860年(万延元年2月[1])- 1916年(大正5年)8月21日[1])は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(3期)。 経歴讃岐国阿野郡羽床下村(香川県阿野郡羽床村、綾歌郡羽床村、綾南町を経て現綾川町)で生まれた[2]。15歳になり阿野郡坂出村(綾歌郡坂出町を経て現坂出市)[3]の素封家・綾井忠吉郎の養嗣子となる[2]。山本謙蔵に漢学を学んだ[2]。1888年(明治21年)に上京し同人社、東京英学校(のち東京英和学校)、慶應義塾で学んだ[2]。貸本業を営む[3]。1888年(明治21年)後藤象二郎に従い大同団結運動を推し進め、東北など各地を遊説した[2][3]。1890年(明治23年)3月、香川県会議員に選出され、同年4月、同副議長となる[1][2]。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では香川県第3区から出馬し当選[1]。第3回、第4回総選挙(補欠選挙)でも当選し衆議院議員を通算3期務めた[1]。 脚注参考文献
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