網野善右衛門網野 善右衛門(あみの ぜんえもん、1843年2月9日(天保14年1月11日)[1][2] - 1926年(大正15年)4月18日[3])は、明治時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 経歴雨宮彦兵衛の二男として甲斐国東八代郡祝村(現・山梨県甲州市)に生まれる[2]。1865年(慶応元年)同郡錦村の網野治郎右衛門の養子となり、1870年(明治3年)2月、家督を相続する[2]。1872年(明治5年)11月、同村戸長に就任し、ついで八代郡第四区第五区蚕種製造世話掛、錦村副戸長、八代郡第五区長兼学区取締役、学区取締総理、学事会員嘱託を経て、1882年(明治15年)9月に錦村村会議員に当選した[2]。 1884年(明治17年)9月、東八代郡錦生学校教育連合会議員に転じ、英村錦村所得税調査委員、東八代郡会議員、同郡参事会員、同郡所得税調査委員補欠などを経て[2]、1902年(明治35年)1月、山梨県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年1月10日[4]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[3]。ほか、網野銀行の支配人を務めた[1]。 栄典親族
脚注
参考文献
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