網浜茶臼山古墳
網浜茶臼山古墳(あみのはまちゃうすやまこふん)は、岡山県岡山市中区赤坂南新町(あかさかみなみしんまち)にある古墳。形状は前方後円墳。史跡指定はされていない。 概要岡山県南部、岡山市街地中心部から東方の独立山塊である操山山塊の南西端の低丘陵頂部において、岡山市街地・児島湾・児島半島を一望する位置に築造された古墳である[1]。近世以来の東山墓地に位置する関係で本古墳全体も墓地化されており、墳丘は大きく改変を受けている[1]。 墳形は前方後円形で、前方部を東方に向ける[1]。墳丘表面では葺石と見られる礫石が認められるほか、特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪が検出されている[1]。埋葬施設は竪穴式石槨と推測され、石槨石材と見られる安山岩板石が墓地の石垣などに認められている[1]。 この網浜茶臼山古墳は、出土の特殊器台形埴輪より古墳時代初期頃の築造と推定される。周辺では操山109号墳のほか操山103号墳・操山106号墳・湊茶臼山古墳といった前方後円墳の築造が知られるが、その中で本古墳は操山109号墳とともに旭川下流域において最古級の盟主墳に位置づけられる[2]。 遺跡歴
墳丘墳丘の規模は次の通り(1990年の測量調査報告値[1])。
操山丘陵の古墳としては、金蔵山古墳・湊茶臼山古墳に次ぐ規模になる[3]。 脚注参考文献(記事執筆に使用した文献)
関連文献(記事執筆に使用していない関連文献)
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