細川元春

 
細川元春
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 天文22年11月25日1553年12月30日
改名 元勝→元春
別名 細川晴広[1]
官位 従五位下掃部助刑部大輔
幕府 室町幕府 和泉守護
氏族 細川和泉上守護家細川六位蔵人家
父母 父:細川元常
兄弟 元春晴貞越智某[2]
常元
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細川 元春(ほそかわ もとはる)は、戦国時代武将細川和泉上守護家出身。『地下家伝』では和泉守護とされるが詳細は不明[3]

概要

地下家伝』によれば、刑部大輔和泉守護であったとされる。しかし、元春の活動したと思われる時期と同時期(天文5年(1536年)1月以降)には、細川元常に代わって和泉守護を務めている五郎(泉州守護五郎・和泉守護五郎)がおり[4][5]、『天文日記』によれば天文16年(1546年)3月頃までその活動は確認できる。また、木沢長政による太平寺の戦いの後に元常が発給した感状と同日付・同一の内容・書式の感状が「晴貞」という人物より発給されており、前述の「和泉守護五郎」は元春の兄弟で細川晴貞という名前であったと判明している[6][7]

子孫は地下家として幕末まで代々朝廷に仕えている[8]

「細川之系図」によると一説として細川晴広と同一人物であるとされる[9]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 「細川之系図[1]
  2. ^ 朝倉弘『奈良県史 第十一巻 大和武士』名著出版、1993年、335頁。ISBN 4-626-01461-5 
  3. ^ 国文学研究資料館「地下家伝・芳賀人名辞典データーベース[2]
  4. ^ 『座中天文日記』大永7年11月18日条
  5. ^ 『天文日記』天文5年5月20日条
  6. ^ 森田恭二「和泉守護代替り関連史料の再検討」小山靖憲編『戦国期畿内の政治社会構造』(和泉書院、2006年)
  7. ^ 岡田謙一「細川澄元(晴元)派の和泉守護細川元常父子について」小山靖憲編『戦国期畿内の政治社会構造』(和泉書院、2006年)
  8. ^ 国文学研究資料館「地下家伝・芳賀人名辞典データーベース[3]
  9. ^ 「細川之系図[4]

関連項目