細川元春
細川 元春(ほそかわ もとはる)は、戦国時代の武将。細川和泉上守護家出身。『地下家伝』では和泉守護とされるが詳細は不明[3]。 概要『地下家伝』によれば、刑部大輔・和泉守護であったとされる。しかし、元春の活動したと思われる時期と同時期(天文5年(1536年)1月以降)には、細川元常に代わって和泉守護を務めている五郎(泉州守護五郎・和泉守護五郎)がおり[4][5]、『天文日記』によれば天文16年(1546年)3月頃までその活動は確認できる。また、木沢長政による太平寺の戦いの後に元常が発給した感状と同日付・同一の内容・書式の感状が「晴貞」という人物より発給されており、前述の「和泉守護五郎」は元春の兄弟で細川晴貞という名前であったと判明している[6][7]。 「細川之系図」によると一説として細川晴広と同一人物であるとされる[9]。 脚注注釈出典
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