箱根宏箱根 宏(はこね ひろし、1919年(大正8年)7月5日[1][2] - 1987年(昭和62年)10月6日[2])は、日本の政治家、実業家。第11・14・15代土浦市長[3]。 来歴茨城県出身[2]。1941年(昭和16年)旧制水戸高校を卒業[1]。1944年(昭和19年)東京帝国大学経済学部卒業し、軍需省に入り総動員局秘書課勤務となる[1]。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願[4]。同年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業[4]。同年6月、海軍主計少尉に任官して解員(復員)した[4]。 戦後の1950年(昭和25年)土浦土木建築工業代表取締役となり、1966年(昭和41年)には社長となる[1]。この間、土浦一高、三高の講師も務めた[1]。 1971年(昭和46年)土浦市長に初当選[1]。企業誘致などを進めた。1973年(昭和48年)国民宿舎建設に絡む贈収賄事件で逮捕され、市長を辞任[2]。1974年(昭和49年)5月31日、東京地裁で懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受ける[5]。その後、1981年(昭和56年)に市長に返り咲いた[2][6]。2期目は1985年(昭和60年)に開幕する科学万博に向け、インフラ整備を推進した。科学万博閉幕後の12月に三選。1987年(昭和62年)10月6日、任期中に死去した。68歳没。 脚注参考文献
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