箱崎文応箱崎 文応(はこざき ぶんおう、1892年(明治25年)4月7日 - 1990年(平成2年)2月6日 )は、天台宗の僧侶。比叡山延暦寺の千日回峰行を戦前満行した行者として知られる。天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山 飯室谷不動堂長寿院住職を務めた。 経歴福島県石城郡小名浜町(現・いわき市)に生まれる[1]。出生時の名は箱崎作[1]。 1930年、海難事故に遭い遭難者の菩提を願い比叡山に入る[1]。翌年、大乗院住職、小森文諦の門弟となり、文応を名乗る[1]。 四度加行の満行(1932年)、入壇灌頂履修(1933年)を経て、1934年より回峰修行に入る[1]。1938年10月25日より11月2日の間、断食・断水・不眠・不臥の堂入修行をおこなった[1]。1940年10月に一千日を満行し、北嶺大行満大阿闍梨となる[1]。 以降、吉野大峰山回峰一百日(1942年)、比叡山飯室回峰一百日(1943年)、木曽御嶽回峰一百日(1944年)の回峰行をおこない、1948年の比良山回峰に際しては比良山頂に回峰修行場を開いた[1]。 1950年、比叡山延暦寺一山長寿院住職となり、1971年に大僧正(天台宗布教師一等待遇)に任じられる[1]。 1990年2月6日、長寿院にて遷化(世寿98歳、法寿58歳)[1]。 没後の1992年5月20日、出身地に近いいわき市勿来町の大高寺に、文応の記念碑が建立された[2]。 脚注
関連文献
関連項目外部リンク
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