第3軍団 (ドイツ国防軍)
第3軍団(だい3ぐんだん、ドイツ語: III Armeekorps)は、第二次世界大戦中のドイツ国防軍の部隊である。 第III軍団1934年10月、第III軍団は編成された。ネレトヴァの戦いと1939年のポーランド侵攻では北方軍集団に所属していた。フランスの戦いではA軍集団の一員としてアルデンヌにて黄計画(Fall Gelb)に沿って激闘した。1941年3月には自動車化し、第III自動車化軍団(III Armeekorps (mot))に再編成された。軍団はバルバロッサ作戦のために南方軍集団に配属された。その後、ブロディの戦い、キエフの戦い、ロストフの戦い、ハリコフ攻防戦、そしてウーマニの戦いに参加した。 第III装甲軍団1942年6月、第III装甲軍団(III Panzer Corps)は第III軍団から編成され、A軍集団隷下の部隊としてブラウ作戦を遂行し、コーカサスを占領した。その後、スターリングラードの戦いで第6軍が壊滅すると、ハルキウに駐留するドン軍集団の指揮下に入った。クルスクの戦いでは第4装甲軍の右翼を支援するケンプフ軍支隊に所属した。その後、ローランド作戦で、ベルゴロドのドニエプル川沿いに構築されたパンタ-=ヴォータン(Panther-Wotan)防衛線まで退却した。 1944に入ると、コルスン包囲戦に参加し、ソ連軍に包囲された第XI軍団と第XLII軍団の2個軍団を救出した。しかし3月にはカメネツ=ポドリスキー包囲戦にて第III装甲軍団が所属する第1装甲軍が包囲されると、司令官ヘルマン・ブライト装甲兵大将は部隊をブライト集団(Gruppe Breith)に編成した。 1944年後期、第III装甲軍団はブダペスト包囲戦のコンラート作戦にてハンガリー守備隊と共に戦った。その後、春の目覚め作戦に参加した。第III装甲軍団はオーストリアで米軍に包囲され、1945年5月8日に降伏した。 司令官
関連事項外部リンク“III. Armeekorps”. Lexikon der Wehrmacht. 30 November 2010閲覧。 |