第五十九国立銀行第五十九国立銀行(だいごじゅうくこくりつぎんこう)は明治期に青森県弘前で設立された銀行。青森銀行の前身の一つ。 1878年(明治11年)弘前藩家老であった大道寺繁禎らを中心に、旧弘前藩士族の金禄公債を資本に青森県内初の銀行として設立。資本金は20万円。初代頭取には大道寺が就任。1897年(明治30年)9月に国立銀行営業満期前特別処分法により私立銀行第五十九銀行(だいごじゅうくぎんこう)と改称。1910年(明治43年)から1922年(大正11年)には、前青森市長で弘前藩士族であった芹川得一が頭取に就任。 1931年(昭和6年)には世界恐慌後の不況を受け、取り付け騒ぎになり休業を余儀無くされるも、一貫して県内最大の金融機関としての地位を占めた。その後1943年(昭和18年)10月に当行を含め県内5行が合併し、青森銀行を新たに設立。 本店跡1904年(明治37年)11月に完成した第五十九銀行本店本館(現「青森銀行記念館」)は、1972年(昭和47年)に国の重要文化財に指定され保存されている。木造2階建て寄棟屋根・越屋根付き桟瓦葺きで、ルネッサンス様式。設計、施工は、弘前市を中心に近代建築を後世に残している堀江佐吉。 沿革
関連項目参考文献
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