竹腰俊蔵竹腰 俊蔵(たけこし しゅんぞう、1895年12月30日[1] - 1963年3月28日)は、日本の政治家。群馬県知事(第4代)を務めた。群馬県群馬郡箕輪町(のちの箕郷町、現在は高崎市)出身。群馬師範学校(現在の群馬大学教育学部)卒業。 来歴群馬師範卒業後、伊香保町立伊香保小学校訓導となる。以後、小学校教員としてキャリアを積み、前橋市立清里小学校校長、吉岡村立明治小学校校長などを歴任。群馬県教育委員も務めた。 1956年、実兄の竹腰徳蔵が群馬県知事選挙に立候補し、選挙戦を優位に展開していたが、投票日の3日前に突如として急死した。そのため、徳蔵の実弟であり、教育者として信望の厚かった俊蔵が竹腰陣営に候補者として担がれ、急遽知事選に補充立候補した。ほとんど選挙活動もできないまま、弔い選挙で3日後の選挙で日本社会党の東海林稔らを破って初当選を果たした。1期務めた後、2期目の選挙には立候補せず、政界を引退した。 脚注
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