立古睦吉
立古 睦吉(りゅうこ むつきち[1]、1893年(明治26年)9月16日[2] - 1981年(昭和56年)7月2日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1]。 経歴1893年(明治26年)に岡山県で生まれた[2]。陸軍士官学校第27期卒業[2]。1939年(昭和14年)3月9日に第21師団捜索隊長(第12軍)に就任し[1][2]、8月1日に陸軍騎兵大佐に進級[1]。日中戦争に出動し[2]、徐州に駐屯した[2]。1940年(昭和15年)2月に騎兵第71連隊長に転じ[1]、1941年(昭和16年)3月に軍馬補充部附となった[1]。 その後千葉陸軍戦車学校研究部主事を経て[3]、1944年(昭和19年)3月14日に陸軍少年戦車兵学校長に就任し[2]、8月1日に陸軍少将に進級した[1]。終戦後は陸軍省附を経て10月18日に岡山連隊区司令官に就任した[4]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 脚注参考文献
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