空からこんにちは

空からこんにちは
愛称 空こん
ジャンル 情報番組
放送方式 生放送
放送期間 1967年5月1日 - 1977年3月28日
放送局 朝日放送(現:朝日放送ラジオ
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空からこんにちは』(そらからこんにちは)は、朝日放送(現:朝日放送ラジオ)で1967年5月1日から1977年3月28日まで放送されたラジオの情報番組。

概要

そもそもは、1966年のテレビ映画の中で、ロサンゼルスのラジオ局がヘリコプターを飛ばして、交通情報を伝えていたのを見て、当時の朝日放送のラジオ局の部会やラジオ局の連絡会において、「あれがやりたいな…」と話し合っていたという[1]。そこで、1966年11月から12月の3週間にわたって、ラジオ報道部の主任とラジオ制作部の主事の2人がサンフランシスコとロサンゼルスのラジオ局を視察し[2]、その報告を聞いて、「あれ、いけまっせ」という判断で、企画が動き出した[1]。そして、パイロット版として、1967年の元日の朝に『レッツゴー67年』を放送、この成功によって、『空からこんにちは』の放送に踏み切ることになった[1]

しかし、この番組の実現には、制作費とヘリコプターの安全性という2つの課題があった[1]。制作費の面では、ヘリコプターのチャーター料が1回の放送で、2時間の余裕が必要だったため、月曜から金曜まで、およそ70万円[1]、その他の経費を加えると、月額で400万円かかる[1]。もちろん、当時の朝日放送で、この制作費では「空前の巨費」となる[3]。さらにヘリコプターの安全性に関しても、連日大阪市内の民家の上を、高度300メートルのいわば航空制限ぎりぎりで飛ぶことになるため、墜落したら、当時の朝日放送自体の存続にもかかってくる[3]。そこで、担当者はラジオ局長に対して、「ヘリの事故発生率は2万時間に1回」というデータを用いて、説得したという[3]

こうして、この番組の放送開始は1967年5月1日と決まり、使用するヘリコプターは、当時、朝日放送の報道局が契約していた『大阪エアウェーズ』と決まった[3]。その所属する7人のパイロットは、自身がリポートを行うため、アナウンス訓練を行ったものの、放送開始になると、7人のパイロット全員がお国言葉丸出しでリポートを行ったが、それがこの番組の人気を呼んだ[3]。また、この番組の担当アナウンサーは、朝日放送アナウンサーの松倉一義となった[3]。松倉はマイカー通勤に詳しかったため、起用された[3]

この番組は、リスナーに絶大な人気を得ることになる[3]。例えば、阪神間のタクシー運転手はこの番組の放送開始となると、一斉に朝日放送にダイヤルを合わせ、さらには、交通整理のお巡りさんが、この番組を聴いて、大阪府警に対して、報告をしていた[3]

この好評に応えて、1967年7月に、月曜から土曜の午前中の時間帯に、トヨタ自動車の1社提供番組として、『空からこんにちは~トヨタ・スカイパトロール~』が放送を開始[3]。この番組を担当した朝日放送アナウンサーの村上守は、スポーツアナウンサーだったため、これまでのアナブースからの放送をやめて、ラジオスタジオの副調整室の窓を陣取りながら、ヘリコプターの様子を見ながら、パイロットとやり取りをした[3]。この試みは、これまでのラジオ番組では考えられないことで、スポーツアナウンサーらしい工夫だったという[3]。この番組以降、朝日放送ラジオでは、オープン・スタイルが定着することになる[3]

しかし、この番組も1977年3月28日をもって、放送を終了することになった[3]。この番組の最後の担当だった朝日放送アナウンサーの村井守は「大阪の交通渋滞はますますひどくなり、混むところはすっかり常習化して周知の現象となって、情報の意味がなくなってきていた。そこへ警察の交通センターもコンピューター化が進んで、主な交差点に設けたセンサーの精度も飛躍的に向上して、もう空から観察するよりもっと早く、かつ広範囲をカバーできるようになってきた。それにヘリの事故もあちこちで増えてきた。『空こん』が無事故でこれたのが不思議なくらいだった。つまりすべてが潮時だったのですね」と、番組終了の背景とその理由を説明した[4]

放送時間

夕方枠

  • 1967年5月 - 1968年9月 毎週月曜日 - 土曜日 16:15 - 17:00[5]
  • 1968年10月 - 1972年9月 毎週月曜日 - 土曜日 15:00 - 17:00[5]
  • 1972年10月 - 1975年3月29日 毎週月曜日 - 土曜日 15:00 - 16:30
  • 1975年3月31日 - 1976年3月 毎週月曜日 - 土曜日 15:05 - 16:00

午前枠

  • 1967年7月 - 1977年3月 毎週月曜日 - 土曜日 11:05 - 11:45[5]

出演者

いずれも、出演の時点では朝日放送(旧法人)の現役アナウンサー。

脚注

  1. ^ a b c d e f abc50 1, p. 167
  2. ^ abc50 2, p. 138
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n abc50 1, p. 168
  4. ^ abc50 1, pp. 168–169
  5. ^ a b c d e 吉本圭介(元・朝日放送社員)「民放ラジオ 陰と光の10年をふり返る -ニューラジオの成立 昭和40年〜46年-」(『民放くらぶ』2007年7月号「みんなで語ろう民放史」)

参考文献

  • 朝日放送社史編修室 編『朝日放送の50年』(朝日放送、2000年)
    • I《本史》。 
    • II《番組おもしろ史》。