稲葉董通
稲葉 董通(いなば まさみち)は、豊後国臼杵藩の第8代藩主[1]。 略歴享保5年(1720年)、父の死去により跡を継ぐ。しかし翌年には、天候不順により藩内に大飢饉が襲って大被害を受け、それによってただでさえ悪化していた藩財政がさらに悪化した。このため、享保14年(1726年)には49か条にわたる倹約令を出して藩財政再建を目指した[1]が、享保17年(1732年)には城下にて大火事が起こるなどして大被害を受けるなど、藩政は多難を極め、藩財政も破綻寸前となった。このような中で失意のうちに元文2年(1737年)正月17日に29歳で死去[1]し、跡を長男・泰通が継いだ。 系譜父母
正室
側室
子女 脚注 |