稲妻咲右エ門稲妻 咲右エ門(いなづま さきえもん、宝暦4年(1754年) - 天保9年(1838年)5月24日)は、出雲国(現在の島根県安来市に相当する場所)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属していた江戸時代の元大相撲力士。最高位は大関(歴代大関としての代数は第46代大関)。本名は天野 咲右エ門。 釋迦ヶ嶽雲右エ門の弟で、釋迦ヶ嶽雲右エ門と並んで大相撲史上初の兄弟幕内力士である。 来歴安永3年(1774年)冬場所(10月)、17歳で大鳥居 門太夫の名で看板大関として初土俵を踏んだ。翌安永4年(1775年)春場所(3月)、看板大関のままで大渡 門太夫と改名したが、看板大関としては取組に出場していない。安永6年(1777年)冬場所(10月)には二段目に陥落して再び四股名を大鳥居 門太夫に戻したが、その後の数場所も出場していない。安永10年(1781年)春場所(3月)真鶴 咲右エ門に改名した。三段目に陥落した場所もあったが、10年余り二段目に在位して相撲を取り続けていた。寛政3年(1791年)冬場所(11月)、稲妻 咲右エ門に改名し、寛政6年(1794年)冬場所(10月)ようやく実力で幕内(上段)に復帰した。寛政9年(1797年)冬場所(10月)前頭筆頭まで進むが、これが二段目陥落・幕内復帰以降の最高位となり、上に雷電爲右エ門・千田川吉五郎らがひしめいていたため、ついに三役復帰はならず、文化元年(1804年)冬場所(10月)を最後に引退した。 主な成績
場所別成績
改名歴
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