種山石工種山石工(たねやまいしく)とは、江戸後期、熊本藩八代郡種山手永(現熊本県八代市東陽町)に居住していたとされる石工の技術者集団、肥後の石工とも呼ばれる[1]。その末裔や弟子などが、江戸時代後期から明治・大正時代にかけて、熊本県内はもとより県外にも、多数の目鑑橋を架けた。 種山石工の歴史や資料を展示する資料館として 石匠館が熊本県八代市にある。 主な人物石匠館石匠館(せきしょうかん)は、種山石工の歴史や、全国の石橋、石工技術などの資料を展示する資料館。種山石工「橋本勘五郎」の生家前にある。設計は木島安史。丸屋根。壁面は、地元で採れる凝灰岩を使用している[2]。くまもとアートポリス第1回推進賞受賞作品。
代表作出典
関連項目外部リンク
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