福西英三福西 英三(ふくにし えいぞう、1930年 - )は、日本の洋酒研究家、バー経営者[1]。カクテルに関する著作を多数上梓している[1]。 経歴・人物1930年、北海道旭川市に生まれる[2]。実家は会津から北海道に入植した商家であり、大伯父は会津の造り酒屋小檜山家の養子となって、清酒「国士無双」で知られる高砂酒造を経営した[3]。 旧制高校を卒業し、上京して早稲田大学第二文学部英語英文専修に進学するが、6人兄弟の長男のため仕送りは望めずアルバイトに励んだ(大学は後に中退)。そのアルバイト先が浅草のキャバレーであり、そこでバーテンダーの技術を教わった。その後は浅草、北千住、八重洲口のトリスバーを転々とした。八重洲口のトリスバーの常連客に当時朝日新聞俳壇の選者だった石田波郷がいて親しくなり、自らも俳句を始めるようになった。1962年、浅草に自らのバー「鶴」をオープン。この店名も波郷の主宰する俳誌「鶴」から借りたものである。俳人と落語家をはじめ文化人が多く集まるバーで、柳家小さんとも親交を深めた[3]。 全日本バーテンダー協会で編集局長を務め、その後サントリーフードビジネススクール専任講師となったことをきっかけに「鶴」を閉店する。サントリーフードビジネススクールで24年間教鞭をとり、校長職を務め、1993年に退職[2]。 著作
翻訳
共著
監修
出典
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