祥應寺祥應寺(しょうおうじ)は、東京都国分寺市本多にある黄檗宗の寺院。祥応寺とも表記される。
歴史祥應寺の前身は鎌倉時代、伝祥應寺跡(国分寺市西元町・黒鐘公園北方)に起こる。開山由緒は不明であるが跡地から板碑が発掘されており阿弥陀信仰の盛んな寺院であったようである。 江戸時代の地誌(武蔵名勝図会)によると、地元の住民が跡地から鉄の阿弥陀像二体を掘り出し、のちに府中の六所宮(大國魂神社)に阿弥陀堂を建てて祀った。鉄(くろがね)の仏が掘り出されたことからこの地を「黒金」と呼んでいる。祥應寺の山号はこの地名に由来する。 享保2年(1717年)、国分寺村名主本多家が廃寺となっていた祥應寺の再興を発願。黄檗宗の僧恢門道頂禅師を懇請し再興した。 江戸幕府八代将軍徳川吉宗の享保の改革にともない、国分寺村名主本多三左衛門の子、儀右衛門と仲右衛門の兄弟によって本多新田(現・国分寺市本多)が開拓される。 享保11年(1726年)、住民の菩提所を設けるにあたり祥應寺の引寺が許され、祥應寺は万葉植物コノテガシワの古木とともに跡地から現今の地に移され今日に至る。 文化財
施設
脚注
関連文献
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