初代・祝嶺 正献(しゅくみね せいけん、1925年 - 2001年11月26日)は、沖縄県出身の空手家。玄制流空手道創始者。躰道創始者。初代・日本武藝躰道宗家、最高師範。本名、祝嶺 春範(しゅくみね はるのり)。
「祝嶺正献」の名は襲名されており現在三代目であるが、ここでは初代・祝嶺正献について解説する。かつては祝嶺制献と号す。
経歴
伝説
祝嶺正献には数々の人間離れした伝説の事実がある。
- テレビの生放送で試割りの実演を依頼されていた祝嶺は、瓦の枚数を何枚にするか制作サイドから相談され、「何枚でも良い」と答えた。「34枚ありますが全部ですか」と念を押された上で重ねて承諾。リハーサルなし、生放送のテレビカメラの前で、34枚積み上げた瓦(祝嶺の腰を越える高さ)を、左半身猫足立ち帆立構えからの右手刀一撃で全て割った。しかも祝嶺が直接打撃した瓦は、頂上の一枚目だけであった[1]。
- 空中六段蹴り
- ランニング中人越えバック宙
- 片手親指側転
その他
「最高師範」の肩書は初代・祝嶺正献にのみ用いられる。
書籍
- 『新空手道教範』 祝嶺制献(日本文芸社 1964年)
- 『躰道概論』(現代書林 1988年)
関連項目
外部リンク
参照
- ^ 「空手鍛錬三ヶ月」(昭和55年・日本文芸社)