磯野敬磯野 敬(いその けい[1]、1868年7月6日(明治元年5月17日[2])- 1925年(大正14年)10月25日[1])は、明治後期から大正期の林業家、実業家、政治家。衆議院議員[1]。 経歴上総国夷隅郡、のちの千葉県[1]夷隅郡市野郷村[注釈 1](現:勝浦市市野郷)で、富豪[4]・磯野市郎兵衛の長男として生まれる[2][4]。1892年(明治25年)慶應義塾大学部理財科を卒業した[1][3][4]。1904年(明治37年)12月、家督を相続し[2]、造林業を営む[1][3]。 地方森林会議員、日新護謨取締役なども務める[1][2][3][4]。 1912年(大正元年)、東京府東京市小石川区大塚窪町(現:東京都文京区小石川五丁目)に近代和風建築の粋を集めた自邸が竣工。同邸は2005年(平成17年)12月27日、「旧磯野家住宅」として国の重要文化財に指定される。 1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙(千葉県郡部、立憲政友会)で当選したが[5]、衆議院議員選挙訴訟の結果、安房郡での選挙が無効となり、同年12月8日、千葉県知事により鵜澤總明・吉植庄一郎・木村政次郎・関和知・津田毅一・柏原文太郎・鵜沢宇八・加瀬禧逸・土屋清三郎と共に当選証書が取消され議員を退職し[6]、同月に実施された再選挙で当選[1][7]。1920年(大正9年)まで1期のみ務めた。 親族脚注注釈出典
参考文献
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