碩運寺
概要1596年(慶長元年)、千田庄兵衛の開基である[2]。当時は武蔵国葛飾郡南本所石原町(現・東京都墨田区石原)に位置していた[2]。境内には新美稲荷社があり、石原の鎮守となっていた[2]。1910年(明治43年)、現在地に移転した[3]。 尾久温泉の発見移転後まもなくの1914年(大正3年)、当寺の住職松岡大機が[2]井戸を掘ったところ、尾久温泉を発見した。最初は湯治場「寺の湯」として参拝者が利用していたが、盛況だったので「不老閣」として独立した。その後、尾久温泉は戦前まで温泉街として発展していった[1]。 交通アクセス脚注参考文献
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