石川真守
石川 真守(いしかわ の まもり)は、奈良時代中期から平安時代初期にかけての公卿。大臣・蘇我馬子の後裔。官位は正四位上・参議。 経歴称徳朝の天平神護2年(766年)従五位下・近江介に叙任。のち、右京亮・中務少輔を歴任する。 神護景雲4年(770年)称徳天皇の崩御後まもなく少納言に任ぜられ、宝亀2年(771年)従五位上に叙せられるが、翌宝亀3年(772年)遠江守次いで越中守として地方官に転じる。宝亀7年(776年)中務少輔次いで式部少輔に任ぜられて京官に復し、宝亀11年(780年)正五位下に叙せられている。 桓武朝に入り、延暦2年(783年)従四位下・大宰大弐に叙任される。大宰府での官職を勤め上げ、延暦9年(790年)参議兼右大弁となり公卿に列した。議政官として右大弁・大宰大弐・刑部卿などを歴任する一方、延暦10年(791年)従四位上、延暦13年(794年)正四位下、延暦15年(796年)正四位上と昇進している。 延暦17年(798年)4月に致仕し、同年8月19日卒去。享年70[1]。結果的に石川氏(蘇我氏)からの最後の公卿となった。 官歴注釈のないものは『六国史』による。
脚注参考文献 |