石川民部(いしかわ みんぶ)は、武蔵国松伏領村で代々続く名主。
概要
石川民部家は、武蔵国松伏領村(現:埼玉県松伏町)の豪農で、1,000町歩余り・石高10,000石超も有する大地主。代々名主を務めた。[注釈 1]
松伏という地名の由来自体が、石川民部家の松の樹形が伏せ松であったからという説がある。
石川民部家は、江戸時代に、将軍の日光社参、江戸川の開鑿や改修、新田開発や寺院の整備などに尽力し、褒賞に浴し苗字帯刀を許された。
有栖川宮・東伏見宮・北白川宮様が明治11年に石川民部家を桃花遊覧に来訪し、臥龍軒の扁額を賜った。
明治時代以降は、松伏村会議長、松伏村長、松伏町長などを務めた。
沿革
- 慶長15年、民部法名香林道善禅定門没。
- 寛永9年、民部法名静栖禅定門没。
- 慶安4年、民部法名道性禅定門没。
- 寛文9年、三輪野江村定勝寺、鐘銘に松伏村・石川民部。
- 延宝4年、興善院義山道忠法眼没。
- 宝暦11年、御鷹場野廻り役・石川左仲。
- 文政11年、大門宿会田文書に、松伏村大惣代・石川民部。
- 文化2年、戸長・石川翁助・生。
- 天保8年、戸長・石川宇右衛門生。
- 弘化4年、副戸長・石川金右衛門生。
- 嘉永2年、石川鳳蔵・生。
- 安政3年、名主石川民部・其子名主・石川謙三郎。
- 文久3年、松伏領村助役・石川金平・生。
- 明治元年、石川欣一郎・生。
- 明治15年、県下富農24名の内に、県会議員松伏村・石川鳳蔵。
- 明治25年、石川仁平次・生。
- 明治30年、貴族院多額納税者互選人名簿に、農業・石川鳳蔵。国税1618円。
- 明治30年、人名録に醤油製造業・石川宇右衛門。
- 明治44年、石川鳳蔵・国税2543円・県下12位、
- 大正12年、大地主名簿に松伏領村・石川欣一郎・田59町四反歩・畑38町歩所有。
- 大正14年、松伏・石川欣一郎県会議員・国税2811円。
- 大正14年、松伏・石川仁平次・国税3066円。
歴代当主
[注釈 2]
脚注
注釈
- ^ 松伏周辺の埼玉県東部地域は、関東地方では例外的に、大地主が高度に成長した地域である。
- ^ 旧家者民部、石川氏なり。豪富にて世々民部と称し里正を勤む。3代民部法名静栖、4代法名道忠は殊に仏法帰依、村内静栖西光観音の3ヶ寺を開基し、各田畑を寄附。『風土記稿松伏村条』
出典
参考文献
関連項目