石川成秀
石川 成秀(いしかわ なりひで、1886年〈明治19年〉7月16日[1] - 1958年〈昭和33年〉2月6日[1][2][3])は、大正から昭和期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。位階は正三位[3]。勲等は勲四等[3]。 経歴東京府出身。子爵・石川成徳の長男として生まれる[1][4][5]。父の死去に伴い、1898年(明治31年)5月17日、子爵を襲爵した[1][4][5][6]。1910年(明治43年)学習院高等科を卒業[2]。同年、フランスに留学し、1912年(明治45年)3月に帰国した[2][4][5]。 1913年(大正2年)7月、主猟官に就任[2][5]。以後、式部官、大礼使典儀官などを務めた[2]。 1925年(大正14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7]、研究会に属して活動し、1932年(昭和7年)5月30日に辞職した[2][8][9]。 1958年2月6日0時、三重県亀山市の自宅で心臓麻痺のため死去した[10]。 親族脚注
参考文献
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