石川君子
石川 君子(いしかわ の きみこ)は、奈良時代の貴族・歌人。名は吉美侯、若子とも記される。官位は従四位下・大宰少弐。 経歴元明朝の和銅6年(713年)正七位上から五階昇進して従五位下に叙爵する。和銅8年(715年)播磨守に任ぜられていることから、同年頃に成立した『播磨国風土記』の編纂に携わった可能性が指摘されている。元正朝では従五位上に叙せられ、侍従を務めた。 神亀元年(724年)聖武天皇の即位に伴って正五位下に昇叙され、神亀3年(726年)従四位下に至る。神亀年間に大宰少弐を務め、任期中に詠んだ短歌が『万葉集』に採録されている[1]。神亀年間から天平年間初頭にかけて侍従として聖武天皇に仕えた「風流侍従」10余人のうちの石川朝臣君子[2]に比定される。 官歴注記のないものは『続日本紀』による。
脚注参考文献 |