石城国造石城国造(いわきのくにのみやつこ、いわきこくぞう)は、石城国(後の律令国の陸奥国南部)を支配した国造である。 概要祖先氏族石城氏(いわきうじ、姓は直)。 「国造本紀」には「天津彦根命の後裔の建許侶命が石城国造の祖」、『古事記』神武段には、「神武天皇の子の神八井耳命が意冨臣・道奥石城国造等の祖」と記されている。 本拠支配領域国造の支配領域は当時石城国と呼ばれていた地域で、後の陸奥国石城郡、現在の福島県浜通りのうち、いわき市北半分から大熊町にかけての地域にあたる。 7世紀中葉には、道奥菊多国造(南隣)や高国造と合併して、多珂国を形成した。石城国造の領土について、北限は、『常陸国風土記』に記されている「陸奥国の石城郡の苦麻の村」、即ち明治以後の大熊となっている。 氏神関連神社墓子孫
天長3年(826年)1月23日に外正六位上であった藤成に外従五位下が授けられた。 脚注
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