石動権現石動権現(いするぎごんげん)は、能登国石動山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である。虚空蔵菩薩を本地仏とし、神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、石動山天平寺から勧請されて全国の石動社で祀られた。 概要『石動山古縁起』によると、崇神天皇6年に方道仙人が開山し、養老元年(717年)に智徳上人が登山して天平勝宝8歳(756年)に大礼殿(講堂)を造営したという[1]。一方、泰澄による開創の伝承が古くからあり、近世初期に林羅山が著した『新縁起』も、泰澄により構築されたとする[1]。 中世には石動修験が隆盛を極め、石動山天平寺は三百六十余坊・衆徒三千を数えた[1]。
神仏分離・廃仏毀釈明治維新の際の神仏分離令による廃仏毀釈によって、修験道に基づく石動権現は廃された。明治3年(1870年)、真言宗の石動山天平寺も廃寺に追い込まれ、伊須流岐比古神社(石川県)に強制的に改組された。全国の石動社の多くは、伊須流岐比古神(石動彦)等を祭神とする神道の石動神社もしくは五社神社となっている。 脚注
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