石井英一石井 英一(いしい えいいち、1908年1月12日 - 1989年12月10日)は、日本の官僚、実業家。運輸省資材局長。東洋電機製造社長。 来歴・人物香川県三豊郡比地二村(現 三豊市高瀬町)出身。旧制香川県立三豊中学校 、旧制松山高等学校を経て、東京帝国大学法学部独法科卒業。 1933年(昭和8年)鉄道省入省。東鉄貨物課長、北京大使館交通課長を務める。1950年(昭和25年)日本国有鉄道(国鉄)門司鉄道管理局長に異動。1953年(昭和28年)3月23日から24日にかけて、門司地方国鉄職員戦没者合同慰霊祭を行った[1]。 1954年(昭和29年)運輸省自動車局長に昇任[2]。同年10月12日の第19回参議院運輸委員会の会議に於いて、嬉野線国鉄バス事故について答弁を行った[3]。同年10月22日の第19回衆議院運輸委員会の会議にも同バス事故の件で出席する[4]。1955年(昭和30年)同省資材局長、1958年(昭和33年)日本国有鉄道(国鉄)監査委員会委員を歴任。 1961年(昭和36年)東洋電機製造専務を経て、1972年(昭和47年)同社社長に就任[5]。 略歴
栄典脚注
参考文献 |