相馬孟胤相馬 孟胤(そうま たけたね、1889年(明治22年)8月14日 - 1936年(昭和11年)2月23日)は、日本の植物学者、造園家、園芸家、子爵。相馬家31代当主。 経歴相馬中村藩の旧藩主(大名)家で子爵の相馬順胤と正室硯子の長男として東京で生まれた。妻は邦子(土屋挙直の娘)。子に相馬恵胤(日本馬主協会連合会長)。弟に相馬正胤、相馬広胤、妹に沢子がいる。 東京帝国大学理学部植物学科、同大学大学院を卒業し蘭の研究者となる。宮内省に御用掛として新宿御苑に勤務した。1919年(大正8年)父が没し家督を継ぎ襲爵する。1922年(大正11年)、式部官になり朝香宮御用掛を兼ね、のちに式部職庶務課長として楽部長、朝香宮御用掛を兼務した。欧米やインドを漫遊した。能楽の大衆化をはかり、1935年(昭和10年)、日比谷音楽堂で雅楽を公開した。1936年(昭和11年)に没し、子の恵胤(やすたね)が継承した。 1923年、朝香宮御用掛としてフランスに渡ってゴルフと出会い、帰国の後に東京ゴルフ倶楽部(駒沢コース)に入会し、ゴルフに熱中するあまりに当時として田舎であった駒沢のコース近くに引っ越した。1929年に東京ゴルフ倶楽部のグリーン委員長となり、11月末枯れた芝の中から常緑芝(駒沢ベント)を発見し[1]。培養して、1930年に東京帝国大学植物学教室で鑑定を受けた。 著書
注釈参考文献
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