百木三郎百木 三郎(ももき さぶろう、1880年8月12日 - 1940年12月3日)は、日本の技術者、実業家。東洋陶器(現TOTO)取締役社長を務めた。 人物・経歴窯業家河原徳立の三男として東京深川に生まれる。順天求合社(現順天高等学校)を経て、1899年東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科卒業後、農商務省海外窯業練習生としてアメリカ合衆国に留学し、1903年コーネル大学大学院修了。父の親友だった大倉孫兵衛に雇われ、1904年の日本陶器設立時に同社入社[1][2]。 日本陶器では解任された飛鳥井孝太郎の後任として技師長となり[3][4][5]、同窓の西山貞を招聘するなどして衛生陶器の開発にあたり[1][6]、"sanitary ware"の訳語として「衛生陶器」の語を考案するなどもした[7]。1925年東洋陶器取締役。1929年東洋陶器常務取締役。1939年東洋陶器取締役社長[8]。 親族父の河原德直は京都の元士族[9]。妻ミヤは日本陶器創業者大倉孫兵衛の四女で[10]、大倉陶園代表取締役などを務めたデザイナーの百木春夫は三男[11]。長男の茂雄(1915年生)は九州大学工学部応用化学科卒業後、東洋陶器取締役などを務めた[12]。東洋陶器創立者の大倉和親は義兄(妻の兄)[9] 著書
出典
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