白石稲荷山古墳
白石稲荷山古墳(しろいしいなりやまこふん)は、群馬県藤岡市白石にある古墳。形状は前方後円墳。白石古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。 概要
鏑川と鮎川の合流地点の南方1.5キロメートルの丘陵性台地上、標高120メートルの地点に立地する。直ぐ北には十二天塚・北古墳が並ぶ。 周溝は北と南で台地を切断する形で確認され、西側は自然の谷を利用し、東側は崖となっている。墳丘は基本的には三段築成であり、くびれ部は狭く途中から撥(バチ)形に開く。葺石は後円部では2段目と3段目に、前方部では3段目で全周するものと思われる。埴輪列は円筒埴輪と朝顔形円筒埴輪が検出され、後円部では3段に巡らされている。前方部では基壇と3段目に確認されているが部分的である。 1933年(昭和8年)、後藤守一らに調査され、1985・86年(昭和60・61年)に藤岡市教育委員会により範囲確認調査が行われている。 1993年(平成5年)に国の史跡に指定。2009年(平成21年)には十二天塚古墳、十二天塚北古墳が追加指定された。 現在周辺を古墳公園として整備する構想が持ち上がっている[2]。 2018年(平成30年)4月から2019年(令和元年)5月にかけて、群馬県立歴史博物館と早稲田大学により地中レーダー調査が行われ、前方部に新たな埋葬施設があることが判明したほか、140メートルと考えられていた墳丘長が155メートルであると判明し、築造年代も従来の5世紀前半から、少なくとも5世紀初頭にまでさかのぼることが確実となった。 2019年(令和元年)10月、台風19号の大雨の影響で、十二天塚北古墳の北東墳丘が5m×8mの範囲にわたり崩落した。
埋葬施設1933年(昭和8年)に行われた調査で後円部墳頂東端・西端から主体部が1基ずつ検出された。ともに竪穴式礫郭で、砂利を敷き、壁に河原石を積み上げて粘土で蓋をした構造をしている。
埴輪などの出土品は東京国立博物館所蔵となっている。 前方部埋葬施設 未調査のため不明。
文化財国の史跡
脚注関連文献(記事執筆に使用していない関連文献)
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