白川久雄白川 久雄(しらかわ ひさお、1896年(明治29年)10月18日[1] - 1984年(昭和59年)1月1日[1][2])は、大正末から昭和期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県津名郡洲本町長。 経歴兵庫県[1][2]三原郡神代村[3](三原町を経て現南あわじ市神代)で、白川五平、まつ の長男として生まれる[4]。旧制洲本中学校卒業[5]。1921年(大正10年)京都帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した[1][2][3][4]。陸軍法務官試補に任官し、法務官に昇進[2][3][4]。1925年(大正14年)から弁護士の業務に従事した[2][4]。 実業界では、洲本瓦斯社長、全淡自動車取締役、洲本鉄工所取締役、淡路交通取締役、淡路タクシー取締役、淡路産業監査役、淡路商工会議所会頭などを務めた[1][2][3][4]。 政界では、洲本町長、兵庫県会議員(3期)を務めた[2][3][4]。1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け兵庫県第2区から出馬して当選し[3]、衆議院議員に1期在任した[2]。この間、大政翼賛会洲本支部顧問、翼政会政調陸軍・厚生兼務委員、幣原内閣・運輸参与官などを務めた[2][3]。戦後、日本進歩党に所属し[2]、その後、公職追放となった[6]。 戦後は、1947年創設の洲本高等学校(旧制洲本中学校)同窓会初代会長[7]、1956年創立の洲本ロータリークラブの初代会長を務める[8]。 脚注
参考文献
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