登瀛書院 (台北市)座標: 北緯25度02分25秒 東経121度30分37秒 / 北緯25.040351度 東経121.510203度 登瀛書院(とうえいしょいん、繁体字中国語: 登瀛書院)は、台湾台北市にあった書院。日本統治時代は淡水館(たんすいかん)と改称し、官員向けの社交場や上流階級の集会場として利用された。後に台湾文庫の書館となった[1]。 沿革登瀛書院は台北府知府の陳星聚の発案により官民の出資を募り、後任知府の雷其達が1880年に創建した。当初書院は台北城府後街に設置され、後に西門付近(現在の台北市長沙街一段上)に移転。移設後、当地の街名は登瀛書院にちなんで「書院街」と呼ばれた[1]。登瀛書院は清代における最大級の学堂であった[2]。 日本統治時代になると、台湾総督の樺山資紀により、書院の建物は「淡水館」と改名された。まず官員向けの社交場として利用され、1896年以降は上流階級の集会場として使用された。その後私立台湾文庫が入り、1901年1月27日に開館した。1906年、台北市では市区改正による工事が進み、同8月16日に閉館、建物は撤去された。なお文庫の蔵書は東洋協会台湾支部に移管された。蔵書は台北天后宮や大稲埕六館街にある林本源の屋舎を経て、最終的に台湾総督府図書館の蔵書の基礎となった[1]。 参考文献
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