疋田敏男疋田 敏男(ひきた としお、1902年(明治35年)5月27日[1] - 1989年(平成元年)6月2日[2])は、日本の政治家。 経歴山口県下関市出身。明治大学専門部法律科卒業。実業界に進み、親和興産社長を務めた。また、政治家として、1946年4月の戦後1回目の総選挙(第22回衆議院議員総選挙)に山口県から立候補して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。早川崇(国家公安委員会委員長、労働大臣等)らと青壮クラブを発足させ、新政同志会と合流するなど、諸派・無所属議員を中心とした国民党の結成に参画し、党執行部役員(中央常任委員)などを務めた。 脚注参考文献
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