甲斐中文治郎甲斐中 文治郎(かいなか ぶんじろう、1898年(明治31年)1月17日[1] - 1974年(昭和49年)12月24日[2])は、日本の弁護士[3]、政治家。衆議院議員 (1期) を務めた。 経歴兵庫県城崎郡五荘村(現・豊岡市)栃江に生まれる[3]。苦学の末、弁護士となり、内務省嘱託[2]や斎藤隆夫の秘書になった[3]。1947年五荘村長に就任、1950年に合併による豊岡市発足まで務めた[3]。斎藤隆夫の死(1949年)を受けて地盤を受け継ぎ、1952年の第25回衆議院議員総選挙において兵庫5区から自由党公認で出馬して初当選[4]。1953年の第26回衆議院議員総選挙で落選[4]。1958年の豊岡市長選では現職の佐川辰夫に敗れた[3]。 親族脚注参考文献
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