由布喜久雄

由布 喜久雄(ゆふ きくお、1897年明治30年〉5月29日[1] - 1973年昭和48年〉2月6日)は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍法務少将海軍省廃止時の海軍省法務局長。旧姓、岡村[1]

来歴

熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、旧制第五高等学校東京帝国大学法学部を卒業し、1922年に海軍法務官に任官する。海軍兵学校教官、海軍省法務局局員、東京高等軍法会議法務官、海軍司法事務官、大本営報道部附、海軍大学校教官などを歴任した。

1943年に連合艦隊法務長に就任した。1945年に海軍法務少将に昇進した。戦後は海軍省(のち、改組により第二復員省)法務局長となる。

第二復員省退官後は公職追放を経て[2]、郷里である福岡県柳川市弁護士業を営んだ。

脚注

  1. ^ a b 『日本海軍将官辞典』404頁。
  2. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、778頁。NDLJP:1276156  追放事由は「海仁会理事」。

参考文献

  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。