田鶴浜弘田鶴浜 弘(たづはま ひろし、1905年8月29日 - 1991年8月15日)は、日本のスポーツライター、プロレス評論家。 日本ボディビル協会の副会長も務めた。 来歴・人物早稲田大学卒業。報知新聞記者を皮切りにスポーツ記者として広く活躍し、とりわけプロレスでは「プロレス評論家の草分け的存在」と称される。日本初のプロレス専門誌『月刊プロレス』の創刊にも携わった。 1972年の全日本プロレス創立から1985年頃まで、日本テレビの『全日本プロレス中継』で解説者を務める。なおメインの解説者は田鶴浜より28歳若い山田隆で、田鶴浜は二番手のポジションだった。1975年に全日本で行われたオープン選手権では準備委員会の委員を務めた。 子供向け入門書を含め著書を多く発表している。 弟子に流智美がおり、流によると「そのレスラーの前に出た時、見せられないような物は書いてはいけない」と教えを受けたという。 漫画『キン肉マン』に登場する解説者のタザハマヒロシは田鶴浜がモデルである[1]。墓所は多磨霊園[2]。 書籍著書
監修
脚注
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