田原武雄田原 武雄(たはら たけお、1910年(明治43年)12月15日[1][2] - 1988年(昭和63年)10月25日[1][2][3])は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 経歴鹿児島県[3]揖宿郡頴娃村(頴娃町を経て現南九州市)で生まれる[1][2]。1938年(昭和13年)陸軍士官学校(少尉候補者19期[4])を卒業した[1][2][3]。1944年(昭和19年)勲五等瑞宝章受章[5]。 戦後、頴娃町議会議員、頴娃町農業振興会長、青戸農業協同組合長、鹿児島県信用農業協同組合連合会監事、同農業信用基金協会監事、同農民政治連盟副委員長、同経済農業協同組合連合会会長、全国農業協同組合連合会理事、全国茶生産団体連合会会長、えい農業協同組合長、鹿児島県農業協同組合連合会理事、同県茶振興会会長、熊本果実連合会理事、南栄糖業監査役などを務めた[1][3][2]。 1977年(昭和52年)7月の第11回参議院議員通常選挙に鹿児島地方区から出馬して当選し[1][2][6]、参議院議員を1期務めた[1][2][3]。この間、鈴木善幸改造内閣沖縄開発政務次官、国土審議会特別委員などを務めた[1][2][3]。所属会派は自由民主党・自由国民会議であった[3]。 1983年(昭和58年)秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[5][7]。 1988年(昭和63年)10月25日死去、77歳。死没日をもって従六位から正五位に叙される[8]。 脚注参考文献
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