田中浩二 (バレーボール)田中 浩二(たなか こうじ、1967年8月26日[1] - )は、日本のシッティングバレーボール選手。4大会パラリンピックに日本代表として出場、『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』を結成し、シッティングバレーの普及に努めている。 略歴滋賀県伊香郡余呉町(現滋賀県長浜市余呉町)生まれ[2]。中学時代に日本台湾親善試合の滋賀選抜として国際大会に出場、私立近江高等学校に進学し、全国高等学校バレーボール選抜優勝大会に出場した[2][3]。高校卒業後は9人制実業団チームに所属していたが、1998年交通事故で左足膝下切断[4]。1999年シッティングバレーボールと出会い、翌年4月に『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』を結成した[2][3]。同年10月シドニーパラリンピックに日本代表として選出され、以降アテネ・北京パラリンピックに連続出場し、主将としてチームを牽引した[2][3][4]。『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』に所属すると共に、『日本シッティングバレーボール協会』選手会長として、協会の充実と後進の育成に努めている。 関連事項
脚注
外部リンク
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