田中健太郎 (野球)
田中 健太郎(たなか けんたろう、1979年6月7日 - )は、埼玉県坂戸市出身の元プロ野球選手(投手→捕手→内野手)。 来歴・人物坂戸市立住吉中学校から長野県の松商学園高に進学。1年からベンチ入りし、2年からはエースで4番となり、秋以降の新チームからはキャプテンとなった。3年夏の第79回全国高等学校野球選手権大会ではMAX145km/hを記録する。 1997年、同年のドラフト会議で読売ジャイアンツから5位指名を受け入団。 投手としての将来性を期待されての獲得だったが、入団後まもなく肩を故障し、1999年に中学時代以前に経験のあった捕手にコンバート。さらに翌2000年には首脳陣からの勧めで内野手にコンバートされた[1]。練習の虫と言われていたが、一軍出場の無いまま2002年に戦力外通告を受けた。 巨人退団後は、投手としてのプロ復帰を目指して肩の手術を行い、2005年シーズンは社会人野球のクラブチームである全府中野球倶楽部に所属していたが、同年中に右肘を痛めたことで最終的に復帰を断念し、現役を引退した。 引退後は、2005年よりファイテンに勤務[1]し、その後新潟県でスポーツマネージメント会社「OUT FIELD」を起業し、子供への野球指導や現役選手のマネジメントを手がけている。さらに、2015年から新潟で初となるボーイズリーグのチーム「新潟ボーイズ」を立ち上げた[2][3]。 また、元独立リーガーの千葉司とともに野球チーム・府中ダイアモンドドッグスを立ち上げ[4]。チームの監督を務めた。無加盟のチームだったが、2010年に他クラブチームと合併し、日本野球連盟に加盟するクラブチーム・浦和ダイアモンドドッグス(現:新座ダイアモンドドッグス)となっている。 詳細情報年度別打撃成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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