田上渉
田上 渉(たがみ わたる、1982年5月7日 - )は、福岡県北九州市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー (ボランチ)。 来歴小学3年次よりサッカーを始める[1]。大久保嘉人は小学生時代からの友人であり、後U-12福岡県トレセンチームでも共にプレーした。1995年大久保ともども長崎県に渡り、国見町立国見中学校へ入学。中学時代には九州選抜にも選ばれた。その後進学した長崎県立国見高等学校では2年生から試合に出場し、3年次に主将を務め、第35回全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会・2000年とやま国体サッカー競技・第79回全国高等学校サッカー選手権大会の3大会で優勝し三冠を経験した。後日本高等学校選抜チームに選出され、2001年4月開催のデュッセルドルフ国際ユースサッカー大会で大会3位の成績を修めた。 2001年、高校卒業後は大阪商業大学に進学。在学中は1年から関西学生選抜に選ばれた。関西学生サッカーリーグで2004年度には2部リーグ (Aブロック) 優秀選手およびベストキャプテン賞を受賞した。在学中、Honda FCおよび佐川急便大阪SCより獲得の打診があった[1] が、国見高時代の恩師である小嶺忠敏より九州各県リーグ決勝大会に出場する有明サッカークラブ (V・ファーレン長崎の前身チームのひとつ) の助っ人選手として参加する事を要請された[1] のをきっかけに、卒業後の2005年、設立されたばかりのV・ファーレン長崎に入団した。2006年には九州サッカーリーグで優勝を経験し、リーグ年間最優秀選手にも選出された[2]。2008年には第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会決勝ラウンド2位となり、JFL参入を経験した。 JFLにおいては公式戦34試合全てに出場した[3] が翌2010年1月に長崎を退団[3]。2010年は国見フットボールクラブに所属、同年8月には長崎県選抜チームに選出されて国体九州ブロック大会に出場した[4]。同年12月、翌2011年度からのHOYO AC ELAN大分への入団が発表された[5]。 H大分では九州リーグ優勝を経て第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会に出場。決勝ラウンドで3位となったが、ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズがJFLから退会することになったため、2012年度からのJFL参入が決定した[6]。しかしキャプテンに就任した2012年度は膝の怪我で手術したため長期離脱し、同年度の試合出場数は0であった[7]。2013年2月、現役を引退する旨が発表された[7]。 三菱重工長崎サッカー部で現役に復帰した。 個人成績
代表・選抜歴脚注
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