生き人形『生き人形』(いきにんぎょう)は、タレントで工業デザイナーの稲川淳二が実際に体験したという怪談。またはその作品名。稲川淳二の代表的な怪談の一つ。 概要稲川淳二の数ある怪談の中でも、40年以上の長きに渡り現在も進行中という異例の内容を持っている。自身の著書でランキング1位に挙げる程のお気に入り怪談でもあるが、テレビ出演等でこの話に触れると様々な怪奇現象に遭ったことから「今では口にしたくない」と述べている。また、1999年に催された講演では「どこからが怪談で、どこからが現実なのかという話になってしまう」とも語っている。 あらすじ1976年のある深夜、ラジオ番組の出演を終えた稲川は、同番組ディレクターと共にタクシーで帰路についていた。その道すがら、通行途中の高速道路で少女のような人影を目撃する。 その後、人形使いで著名な前野博から「新しく手に入れる人形を使って舞台をやるから、座長として出てくれないか」と誘いを受ける。親しい友人でもあった前野からの依頼ということもあり稲川は快諾するが、その人形の顔が以前に高速道路で見かけた少女と瓜二つであったことに気付き、嫌な予感を覚える。そしてその予感は的中し、人形の製作作家が行方不明、台本を手掛けた佐江衆一の自宅が全焼、 前野の従兄弟が急死する等といった不幸な出来事が相次ぐ。 舞台は公演日を迎え、上々の評判を得る。しかし、公演中のある日、稲川以外の全ての出演者やスタッフに、理由は違えど皆揃って右手と右足に怪我があることを知る。更にその後、稲川以外の出演者全員が謎の体調不良で倒れてしまい、昼の公演開催が中止となってしまったたため、稲川の発案により、霊験あらたかといわれる寺院でで関係者一同のお祓いをしてもらう。幸い当日の夜には出演者の体調も回復し夜の公演は無事行われたものの、その公演中に舞台上の出演者が本来の人数より一人多いことに稲川は気づく。加えて、少女人形の右手が突然割れたり、小道具の棺桶から仕掛けていない霧が立ち込めたり、出演者であった杉山佳寿子のかつらに突然火がつくなどの不可解な出来事が続いたため、やむなく公演は打ち切りとなる。 1981年、稲川が懇意にしていた大阪の朝日放送スタッフから、この公演にちなんだ怪異を、当時同局で放送されていたワイドショー番組『ワイドショー・プラスα』で取り上げたいとの依頼が来る。スタッフの熱意に押された稲川は渋々承諾するが、その番組スタッフや出演者の身にも不可解な現象が続々と起こり、番組放送中においても視聴者が認識出来るほどの怪奇現象が起きてしまう。 数々の事態に参った稲川は、人形を所有する前野を誘い、知人の霊媒師に人形を視てもらう機会を得る。その霊媒師曰く「稲川さん、この人形何に使ったんですか?この人形、生きてますよ。たくさんの女の怨念が憑いてる。」と言い、舞台公演の内容を話すと「あなたそんな事やったら、ダメに決まっている!」と告げられる。そして、最も怨念が強いのは、赤坂の某料亭の娘であった少女の霊で、太平洋戦争末期の空襲で被弾し、右手と右足を失っている事を明かした。加えてその霊媒師は対の少年人形があることも視透かし、その上で「下手に拝むと襲われる。いいですね、必ず寺に納めるんですよ。」と厳命される。しかし、その数年後、所有者の前野にも悲劇が襲いかかるのであった。 エピソード女性週刊誌『ヤングレディ』1978年7月25日号の記事に写真付きでこの話の初期バージョンが載っている。
作品アルバム
ビデオ
漫画作画:永久保貴一 ゲーム
脚注
関連項目
外部リンク |