瑜伽神社 (奈良市)

瑜伽神社

拝殿
所在地 奈良県奈良市高畑町1059
位置 北緯34度40分44.10秒 東経135度50分8.52秒 / 北緯34.6789167度 東経135.8357000度 / 34.6789167; 135.8357000 (瑜伽神社 (奈良市))座標: 北緯34度40分44.10秒 東経135度50分8.52秒 / 北緯34.6789167度 東経135.8357000度 / 34.6789167; 135.8357000 (瑜伽神社 (奈良市))
主祭神 宇迦御魂大神
例祭 3月8日
地図
瑜伽神社の位置(奈良市内)
瑜伽神社
瑜伽神社
テンプレートを表示
2016年は11月中旬に紅葉を迎えた

瑜伽神社(ゆうがじんしゃ)は、奈良県奈良市高畑町の瑜伽山に鎮座する神社

由緒

社伝によると飛鳥神奈備平城奠都とともにこの地に移り、この山を平城の飛鳥山と呼んだという[1]。もとは元興寺禅定院鬼門鎮守の社で、後に興福寺大乗院が山麓に建つに及び、その守護神として藤原氏等の崇敬を受けた[1]

大乗院寺社雑事記明応3年(1494年)12月30日の条に、「一後智恵光院殿御建立之分(中略)今宮殿御殿 同拝殿仮葺也」とある「今宮」は本神社のこととされ、飛鳥の元宮に対して今宮と呼ばれたとされる[1]。瑜伽神社と称するようになったのは比較的最近のこととしている[1]

歴史

しかしながら、この由緒には疑問も呈されている[2]

今宮

社伝が飛鳥の元宮に対する呼称とする「今宮」[1]については、『大乗院寺社雑事記』にその創祀が詳しく記されており[注釈 1]春日五所明神[注釈 2]を勧請したもので、その鎮座地も瑜伽山ではなく西隣の鬼薗山[注釈 3]である[4]。また『奈良曝』巻三でも、「鬼薗山」の項で

是も大乗院おはしますうしろの山を云、此山の内に茶屋も有、今みやとて春日明神をくわんじやうの宮も有

と記されている[5]。この今宮は瑜伽神社とも併存して江戸時代にも存在したと考えられており、廃絶は明治初期の大乗院解体と同時期と思われる[5]

新宮

瑜伽山は西方院山とも呼ばれ、「今宮」ではなく「新宮」が祀られていたことが、『大乗院寺社雑事記』に見える[6]。「新宮」は、大乗院第十二代覚尊の死後に与えられた神号であるとされ、この覚尊が西方院山新宮社に祀られていた[7]。この新宮社の創祀時期、廃絶時期及び廃絶理由などについては不明である[8]

天満天神と稲荷社

元興寺禅定院鎮守は高畑の天満天神であり、大乗院が当地に移って後も、同社が鎮守となったとされる[5]。 『奈良坊目拙解』巻七の天満天神宮条によると、天満天神内にはかつて稲荷小祠があったが、いつの間にか廃れてしまっていた[5]享保3年(1718年)、宮守の吐山甚太夫が霊夢を見て稲荷小祠を再興し、同15年(1730年)8月に天満天神の北方、かつての新宮社があった地に正遷宮を行った、との記録がある[9]。稲荷神社と瑜伽神社は祭神が等しく宇迦御魂大神であり、この稲荷神社が山の地名にちなみ後年瑜伽神社と称したことが推測される[注釈 4][10]

中世城郭跡

この辺りは中世の瑜伽山城あるいは西方院山城鬼薗山城の跡とみられており、いまも尚広い台地と濠の跡が残っている[1]

境内

一の鳥居の左手に社務所手水舎神符所があり、その先に長い石段が山腹を登っている[11]

少し登ると中腹右手に飛鳥神並社瑜伽山櫻楓歌碑がある[11]

石段の末に、「瑜伽本宮」の扁額を大きく掲げた拝殿があり、左手に久恵比古社猿田彦神社、右手に一言稲荷社平城の飛鳥の万葉歌碑がある[11]

本殿の背後一帯は、お山と呼ばれ、大杉大明神白玉大明神末広大明神子金丸明神がそれぞれ石標を建てて祀られている[12]

歌碑

瑜伽山櫻楓歌碑

春は又 花にとひこん 瑜伽の山 けふのもみちの かへさ惜しみて 良材

作者は梶野土佐守藤原良材で、天保2年(1831年)4月8日奈良奉行となり、同7年12月8日京都西町奉行に転出するまで6年間奈良に勤務した。著書に「山城大和見聞随筆」3巻がある。

瑜伽山は古来桜と紅葉の名所として知られ、奈良十六景に「瑜伽山の桜」と「瑜伽山の紅葉」がある[11]

平城の飛鳥の万葉歌碑

ふるさとの あすかはあれと あをによし ならのあすかを みらくしよしも

大伴坂上郎女天平5年(733年)の作。

祭神

本殿

境内社

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 「大乗院寺社雑事記」延徳2年(1490年)[[4月16日 (旧暦){4月16日]]条などによると、大乗院主の尋尊が「当社五所神鏡事、来廿一日奉勧請鬼薗山」との長者宣を得、創祀したもので、大乗院園池の南、東、北に新たに今宮参道も設けられたとされる[3]。遷宮の儀は同年6月21日に行われ、拝殿には「今宮五所大明神」の棟札が打ち付けられた[3]
  2. ^ 春日大社の本殿四柱と若宮一柱を併せ称したものと考えられる[3]
  3. ^ 現在は奈良ホテルが建つ[1]
  4. ^ 瑜伽神社本殿前には一対の狐の石造物があり、また石燈籠の火袋にも狐の浮彫りがあることからも、この推測は裏付けられる[10]

出典

参考文献

  • 瑜伽神社境内由緒・案内板
  • 奈良市史編集審議会 編『奈良市史 社寺編』吉川弘文館、1985年。ISBN 4642015493 
  • 『大和・紀伊寺院神社大辞典』平凡社、1990年。ISBN 4582134025 
  • 白井伊佐牟「『大乗院寺社雑事記』にみえる瀧蔵社と新宮社」『神道史研究』第40巻第3号、神道史学会、1992年7月、18-49頁。 

関連項目